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設計理念


 
 シンプルで機能的な、施工品質にこだわる 家づくり
 


 住宅の設計に思うこと
  
   昨今、 『環境共生』というやわらかさを感じる言葉が定着しつつありますが、
  人は、自然に属し従うべきで 『自然従属』というきつい言葉で表現したほうが
  的を射ていると感じています。
  人は、地球環境の自然の一部であり、大きな自然サイクルの中で生活することを
  基本とすべきと思います。

  寒さ暑さを体で感じ生活をする、その生活の中で住む家がエネルギーを賢く利用し
  少し和らげる存在であればより良いと考えます。
  とはいえ、エネルギーを消費する設備が無い住宅が良いのではなく、
  その住宅に住む人が少しだけ利用するという生活スタイルが私は、好きです。
  そんなことから住宅の設備は、住む人の嗜好にあった設備であれば
  何を用いても良いと考えます。
  だだその設備の中で、人の自然征服型考察、あるいは自然隔離型考察による設備は
  私とは、相違するだけと思っています。

  住宅を建て、生活する期間は一般に長いものです。
  住む人は、様々な生活スタイル・嗜好を持ち、住宅を建てる時に想いを詰め込みます。
  住宅の設計とは、その中で大切なものは何かを探り出し、
  目先にとらわれない、『ふつう』の家を目指すことと考えます。
 

    ※『ふつう』という言葉についてひとこと。
      住む人にとって当たり前と思うことが、『ふつう』であり、住む人によって変わるものです。
      言葉では単純な表現ですが、探し出すことは最も難しく大切なこと考えています。

 


 設計に携わる建築士として

  住宅を設計する上で建築士は、図面の描くことが出来ない建て主の要望を図面化し、
  住宅づくりの作業の一部を担う立場の『黒子』であるべきと考えます。
  住宅づくりは、安定した環境で機械が製作している物とは違い、
  人が自然の中でつくるものです。
  その中で設計作業は、理想(机上論理)であり、施工作業は、現実(実現論理)です。
  その両者が調和しないと品質の高い住宅づくりは出来ないと考えます。
  つまり、現実にばかり囚われると理想に近づかず、
  理想ばかりに囚われると施工が出来ない、
  この両者のバランスの取り方が最も大切と考えます。

  ひとつの住宅づくりには延べにしてたくさんの人が携わります。
  人と人との作業のつながりで住宅づくりをしているとも言えるでしょう。
  人の作業には、ヒューマンエラーがつきものですが、それを防ぐことも人の作業です。
  又、人は、機械のような作業をすることは出来ませんが、
  人の感性により機械以上の作業をすることも希ではありません。
  この感性の能力を発揮させるつながりが大切と思います。
  そのつながりの中で中心的な立場が、設計に携わる建築士であると考えます。

  住宅づくりは、設計者と施工者が互いの立場を理解し、
  ものづくりに対し同じ方向を目指し、
  対等な立場であることが大切であると思います。

     ※『施工者(ゼネコン)』、実際に住宅をつくる管理をしてくれる人についてひとこと。
        施工者にも設計者と同様に個性や能力の差があり、
        同図面であればどこの施工者がつくっても同品質の物が出来るとは限りません。
        施工者の選択は、設計の意図を理解し、具現化出来る人を選択することが必要と実感しています。 

 

 
 住宅を設計する上で
 
  住宅の設計に入る前に大切なことは、建てたい人と良いつながりを築くこと。
  それに加え、建てたい人と『志』を共有することと思います。
  建てたい人と設計に入る前は、何度かお会いし、
  互いの相性の様なものを確認する時間でもあると思います。
  相性が合わない場合に事を急ぐと、互いに不幸な結果を招く可能性があるので
  この時間はとても大切と考えています。

  設計する上では、建てたい人の納得の上での設計以外は、
  建てたい人に負担になるような設計は極力避けたいと心がけています。
  住宅の意匠(デザイン)は、建てたい人の抱くイメージや制約にあり、
  設計は、それを探り出す作業と思います。
  つまり、自身の意匠は、建てたい人が創り出してくれていると考えています。


     ※『建てたい人の負担』についてひとこと。
       住宅のコストは、設計する上で重要な要素になりますが、
       コストを抑えることにより経年変化によるメンテナンス
       費用の増大や安全性の欠いた意匠設計は、住む人に負担を与えると考えます。
       もちろん、建てたい人が納得の上ならかまわないですが・・・

       建築材料は、高級な物を除き、
       一般に、ローコストになれば耐久性・安全性等が劣る物となりやすいです。
       その中で総合的にコストバランスが良いものを提案したいと思っています。
       当然のことながら当初予算のアップにより、
       経年トータルコストを抑えるという方法も一つの手段と考えます。






 
 住宅を建てたい方へ
 
  住宅を建てるということは、人生の中で大きな出来事のひとつです。
  出資する金額も大きく、様々な情報の中で慎重に選択する必要があると思います。
  その情報を選択する際に考えていただきたいことを以下に列記してみます。

    1.家をつくりたいのですか、家を買いたいのですか。
    2.住む家にしたいのですか、見せる家にしたいのですか。
    3.建築材料・工法・設備についてメリットばかりの情報ではないですか、
      デメリットの情報もありますか。
    4.安全性・耐久性・快適性は、自身の嗜好にあっていますか、
      そのことが工事費に反映していますか。
    5.家に何を求めますか、その優先順位がありますか。
    6.設計を仕事とする建築士と施工を仕事とする建築士の違いがわかりますか。
    7.設計と施工を分離する本質がわかりますか。

   これだけではありませんが、建てたい人は、迷いも多いと思います。
  そんな時相談してみてください。
  建てたい人の嗜好をひとつひとつ探りながら造りあげていくことが
  設計の仕事なんですから

  よく建設予算が少ないから設計事務所に頼めないという事を耳にしますが、
  少ないからこそ建てたい人の立場になって計画してくれる設計事務所に
  頼むべきではないでしょうか。
  予算に縛られ過ぎると、物事の本質を見失いやすく、
  コストバランスのとれた情報を選択することは難しいでしょう。
  そのような時、適切なアドバイスが設計を主たる業としている建築士の仕事です。
 
  設計監理費が必要ないと言うことは、
  住宅を建てる上で何かが欠けていると考えていただいたほうが良いのかもしれません。
  『安物買いの銭失い』 『安かろう悪かろう』 とならない様に
  たくさんの情報の中から本質を選択することが大切です。
  まずは安物と何か 悪かろうとは何か 探すことから始めましょう
  面倒ならば、設計事務所に相談してみる事も一つの手段です。

       


 『建築家』 『先生』 ではなく
 
  この言葉に私が抱く感覚
  『建築家』
   芸術家に繋がるものがあり
   建築を芸術性デザイン等に秀でた人で
   指折りとされた人物 自身で決められない称号
  『先生』
   教師、医師、弁護士などの専門分野に長けた資格を持つ人の呼称
   設計者を指すこともある(なぜなのか不可解)
  どちらの呼称も奥深くに『偉い人』のイメージが良きも悪しきも存在する。

  世の中 悪いイメージの発信力は強いので 
  設計者に対し抱くイメージは
   ・敷居が高い → プライドが高い
   ・建て主、施工者の意向を酌まない → イメージのゴリ押し
   ・施工者泣かせ → 徒労 
   ・クレーム対応は、施工者が負担し設計が悪いとはならない → 責任逃れ
    等々
   と良いものばかりではありません。
  施工経験を持つ私は、この様なことに共感を覚えてしまいます。

  私も設計者ですから そのひとりと見られる可能性があることは
  致し方ないことですが
  施工当時の経験を最大限生かし
  ものづくりに設計と設計者は、どうあるべきかを念頭に
  最低限、上記の事はあってはならないと設計の業に向き合っています。

  設計者は、建物が完成してしまうと
  その建物から手が離れてしまうことが一般的です。
  よって引き渡し後 現れるクレーム(不具合)の対応処理数は、施工者側が多く
  起因されるものの判断や対応策は、設計者より施工者が優れていると考えています。
  どの設計者もクレーム有りの前提で設計を進めているとは思いませんが
  クレーム無しとするには、施工者的視野での設計が必要とされ
  やってはならない意匠が存在すると考えています。

     こと住宅の設計は、
     『絶対基本 雨漏りをさせるな リスクある意匠は必要ない
      機能性のないシンプルは必要ない
      誰の為の設計をしている』をモットーにしています。

 
 

  勝手に創作言葉で表現すると
  (質実剛健をもじり 質=設計 実=施工とし)
  質実剛建(質と実 共に剛い建物)
  質実良建(質と実 共に良い建物)
  としようかと思います。
  設計の段階で 設計と施工の視野を加味したものなければ
  実際の施工段階で 良い建物方向に進むとは考え難いものです。

  逆を解せば 例え話で 
  建て主は、デザインが良ければ雨漏りを容認
         経年変化により開口の開閉不能でも容認してくれる
  なんて事あり得ません。
 
  多少無骨な意匠であっても住宅本来の機能があるものが建て主の望む住宅と考えます。
  予算を絡めた上で その多少の無骨さをそう感じさせない事が 
  意匠本来の姿と感じます。
 
  先の話に戻り
   『建築家』
    遠い存在で 私には全く無縁の呼称  
   『先生』
    設計者は、絵に描いた餅の作業 実際の餅にしてくれるのは、施工者
    設計者は、施工者にお願いし 
    施工者がいなければ 何も出来ない存在である
    施工者に感謝こそすれ 先生との呼称はおこがましい。
 
 
  私は、設計者とすれば異端かもしれませんが
  『実直』という言葉が好きな 単なる設計を業とするおじさんです。

  このHPは、作成ソフトを使い私が作成しました。
  建築とは勝手が違い 四苦八苦しましたが
  これも私の意匠のひとつです。
 

 


 

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